すべては全南大学から始まった

zone1969jp2010-10-24

全南大学の学生運動光州事件の発端だということは、非常に大雑把な理解の仕方ではあるけれども事実に違いがないので、私たちはその全南大学に足を運ぶことにしました。全南大学は光州のエリートが通う大学なんだそうで一見すると広い敷地内に様々な学部がひしめき合っている、現在は平和な大学です。しかし、よくよく目を凝らせば5・18の忘れ形見がそこここに見受けられます。敷地の一番広い場所には民主化運動のモニュメントが設置され、時折噴水がしぶきを上げます。また、平和な敷地内にそぐわない、校舎の壁に描かれた当時の様子を描いた壁画もありました。劇画調の壁画は激しい色彩で彩られ、そこだけ30年前の思いが漂っているようです。
その壁画に見入っているときに、水緒さんが先生らしき人物に声をかけてくださいました。その男性は実は先生ではなく、コリアンレールにお勤めの、全南大学大学院博士課程を修められた方で、当時は高校2年生であった、と話してくださいました。用事があったにもかかわらず、日本人がわざわざ全南大学まで光州の事件のことを調べに来たことが珍しかったのでしょうか、彼は熱っぽくインタビューに応じてくれました。
彼の話によると、光州事件の最中も授業があったらしく、授業をしている外では激しい銃撃戦が繰り広げられていて非常に怖かった、という思い出を語ってくれました。また、光州の歴史、韓国の歴史を大いに学んでほしいことと、金大中は最高の指導者であるということを何度も何度も繰り返していました。
ご存知の方には私がわざわざ説明するのも大変僭越なのですが、金大中という人は全羅道(光州地域)の木浦(モッポ)という土地の出身の政治家です。しかしながら、彼が大統領になるまでには長い長い道のりがあり、それ以前の権力者や政治家は全羅道出身者はいなかった、と資料に書かれています。(政治家として出馬するためにわざわざ他の地域から出馬した例も多々あったようです)それだけ全羅道が他地域から冷遇されていた、とも記されています。冷遇の要因は様々で、説明すると長くなりますので割愛させていただきますが、ご興味のある方は真鍋祐子先生の「光州事件で読む現代韓国」を是非ご一読ください。

全南大学正門。ここがすべての始まりだった。

5・18のモニュメント。右の人物が本を持っているのが印象的。

壁一面に描かれた激しい色彩の絵。下のほうには握り飯を配る女性が描かれている。

5・18民主化運動標石。全南大学にあるものは1番と番号が振られていて、集結の場の旧道庁まで全部で27個の標石がある。

増補 光州事件で読む現代韓国

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