5・18自由公園で出会った日本語ガイドのハルモニ

zone1969jp2010-10-26

全南大学でコリアンレールにお勤めの親切な男性と別れた後、ちょっと良洞市場(ヤンドンシジャン)を見学、お腹を満たしてから5・18自由公園へと向かいました。ちなみに良洞市場はビエンナーレの市民作品が設置されている場所でもありました。
自由公園には資料展示室がいくつかあり、芳名帖に記帳していたら職員の方が日本語のできるガイドさんをお連れくださいました。彼女は光州事件のあった当時、50歳で女学校の先生をされていたそうです。ガイドさんから発せられる当時の様子はかなり生々しいものでした。例えば光州市民がどんな身分の人も一丸となって闘った、とか、「若者を殺さないで俺たちを殺せ!」と大人が盾になった、とか、女性はとにかく握り飯を作って全員に分け与え、バケツに水を汲んで男たちに飲ませた、など。光州事件の当時は光州から外部へ繋がる道がすべて封鎖され、完全に孤立した状態でしたので食料も水も何もかも全員で分け合っていたのだそうです。さらに事件から2日経った20日には彼女は職場に行き、電話で指令を伝える係りをしていた、とも言っていました。資料館には当時の新聞記事もたくさん展示されていましたが、それらはすべて外国人記者によるものだそうで、光州の記者が写真を撮ろうものなら戒厳軍に殺されていたそうです。なので、「号外」として配られ、光州で何が起きているかを知らしめたのはすべて外国人記者の手による記事でした。
「私たちは『暴徒』呼ばわりされていたが、決してそんなことはなかった。」彼女は続けます。その証拠として光州事件前日、道庁前のロータリーで行われた演説を市民は静かに聴いていたこと、戒厳軍との闘いで街が無秩序状態であったにもかかわらず、盗みを働くような不届き者は一人もいなかったことを挙げていました。
資料館の隣の敷地には、戒厳軍が尋問を行った施設や食堂、牢屋、風呂、裁判所等の建物が再現されていて、30年ということで今年から当時の様子を伝えようとそこには蝋人形が設置されていました。実は自由公園の横には不釣合いな高層マンションが建ち並んでおり、「歴史を忘れたい」人々によってそれらの施設が壊され、住居として土地の記憶を塗り替えられてしまったのだそうです。しかし、歴史的な建造物を保存すべき、という人々が今ある場所に当時の建物を移設、再現がなされたとのこと。その一つ一つを丁寧に見ながら解説する彼女は言います。「この事件で心に傷を負って精神を病んだものは市民軍だけではない。戒厳軍も同じように心に傷を負い、精神を病んだものがたくさんいた。」と。夕焼けの中で聴いたその言葉は、「人間」という存在そのものに対する慈愛が込められているようでひどく私の心に染み渡りました。
彼女は当時一市民であり、すべてを見渡せていたわけではないとは思います。しかしながら、彼女の口から出てきた言葉は彼女自身が見て、体験したことであり彼女にとっての紛れもない「真実」であることに違いはなく、「事実」であったかどうかということはそれほど重要ではないような気がしています。

「七烈士」のモニュメント

ロータリー前での演説の写真

「解決していない5つのこと」のモニュメントの前で熱く語るガイドさん
5.18 다섯 과재  5.18 5つの課題
1) 진성 규명  真相究明
2) 책임자 처벌 責任者処罰
3) 명에 회복  名誉回復 
4) 보상 문재 (연금 미지불) 補償問題(年金未払)
5) 기념 사업 記念行事
(麻生水緒氏より資料提供)

今日の一枚は集結の場である旧道庁。夜でしたのであまりよく撮れませんでした。