tobo通信02号発行のお知らせ

zone1969jp2011-01-21

このたびtobo通信02号を発行する運びとなりました。今回はテーマがテーマなだけにかなりの難産となり、また藤木の緊急入院、手術も重なったため01号発行から実に4ヶ月近く間があいてしまいました。誠に申し訳ありません。今回のtobo通信は以下の内容となっております。
【tobo通信 02号 January 2011】
トボトボ歩いた記憶と記録−北九州にて。北九州から。−
特集:光州へ -見知らぬ他者への想像力-
連載:YAHATA SCAPE・おトボさんの「北九州 見る・知る・遊ぶ」
【内容】 
今から30年前(取材当時)の1980年に光州事件の起こった光州へtoboメンバーの2人+麻生水緒さん、晴一郎さん夫妻が足を運びます。なぜ光州なのか?今暮らしている風景への違和感を抱えつつ旅に出た4人は街をさまよい歩きます。全南大学、良洞市場、5・18自由公園、そして光州ビエンナーレの会場へ…。私たちが見聞きし、感じ、気付いたことは一体なんだったのでしょうか。
おトボさんの「北九州 見る・知る・遊ぶ」では八幡東区祇園町商店街の一角にある高級和洋生菓子「ちとせ」を紹介しております。
■企画・編集・発行:tobo(谷口幹也・高辻かおり・戸島善寛・秦恭子・藤木雪絵)
■tobo事務局:九州女子大学人間科学部谷口研究室
■お問い合わせ m-gavro540☆iwa.bbiq.jp(☆を@に変換してください)
tobo通信とは
tobo通信では、北九州に暮らすジモト、デモドリ、ヨソモノの5人が、北九州内外を自分の足で歩き、そこで出会い考えたことを記事にしていきます。毎号、特集を組み、“アート=よりよく生きるための知恵”に関わる活動や人々を紹介していきます。私たちが暮らす“今ここ”から何をはじめることができるのか。そして、今生きる場所にどのような可能性を見出すことができるのか。以上のことを皆さんと共に考えていきたいと思っております。

あけましておめでとうございます

 少し遅くなってしまいましたが、まだ松の内ですので新年のご挨拶をさせていただきます。旧年中は本当に多くの方との交流を持つことができ、感謝申し上げます。皆さまから学ぶことが非常に多い年となり自分たちの勉強不足を痛感することとなりました。また、活動としましては様々な角度からのリサーチ、tobo通信01号の発行と充実した一年となりまして、これもひとえに皆さまのお陰であると思っております。私事(藤木)ではありますが11月に入院し、手術を受けましたが、幸いにして予後は良好で現在2度目の人生を歩んでいるような気がしております。
 今年は昨年にも増して精力的に活動してゆく所存ですので、なにとぞご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。 
谷口幹也・藤木雪絵

■北九州・八幡ブラブラ歩きのご案内

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北九州・八幡ブラブラ歩きのご案内

“八幡路面/ヤハタ・ロメン”
−電停から見えてくる八幡の暮らし、ヒトの想い−

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近現代生活文化研究の分野でご活躍の金子毅さんが案内役となり、以下の日程で八幡ブラブラ歩きを行います。
テーマは八幡路面。かつて北九州に存在した路面電車を手がかりに、八幡の暮らし、ヒトの想いを探します。
ゆるりゆるりと街歩きをご一緒しませんか?
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■案内役:金子 毅 (近現代生活文化研究) 著書 『八幡製鉄所 職工たちの社会誌』、他。
■と き:2010年11月23日(火) 午後2時30分〜5時 ※活動終了後、八幡中央町にて街遊び!?
■集合時間:午後2時30分
■集合場所:北九州市立八幡図書館前・小伊藤山公園(北九州市八幡東区尾倉2−8)
■対象フィールド:旧北九州本線「桃園」から「七条」まで
■参加費:無料 (飲食代は別となります)
■お願い:街歩きを行いますので動きやすい服装、履物でお越し下さい。
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参加をご希望される方は、m-gavro540●iwa.bbiq.jp(メール送信の際は●を@に)へお知らせ下さい。
当日参加大歓迎です。また活動に関しましては、気楽に谷口携帯 090-9458-9115 までお問合せくださいませ。

企画:tobo 主催:八幡“みる・しる・あそぶ”プロジェクト

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■お問合せ先
谷口幹也
九州女子大学人間科学部人間発達学科 准教授/藝術教育学
〒807-8586 北九州市八幡西区自由ケ丘1番1号
e-mail m-gavro540●iwa.bbiq.jp メール送信の際は●を@に
携帯 090-9458-9115

光州ビエンナーレ’10レビュー

zone1969jp2010-11-01

光州の旅の一番最後に、光州ビエンナーレへ行きました。ご存知の方はもう説明は不要かと思いますが、この光州ビエンナーレ光州事件と深い関わりがあります。とあるブログに「光州事件の負のイメージをふっ飛ばすのはゲージュツの力なのだ!と始まったのがこのビエンナーレ」だと説明があったように(私の感想から言わせてもらえば、それほど単純ではありませんが)光州事件がなければ光州ビエンナーレそのものは存在しませんでした。
光州事件と光州ビエンナーレの関連性を最も端緒に説明しているサイトがありますので、詳しくはそちらをご参照ください。→「光州ビエンナーレ1995」
さて、今回は光州事件から30年ということで私も少々期待をしすぎていた感があります。結果から言うと2年前に何の知識もなく訪れたときよりも今年の展示のほうが心の琴線に触れるものが少なく、イメージの世界に浸り、うちふるえるような喜びを感じることもあまりなく、なにか自分の心が枯渇してしまったようで軽いショックを覚えました。
というのも、非常に戦略としては正しいのかもしれませんが、光州事件を「直接的に」喚起させるような作品、世界で起きている、もしくは起きていた虐殺の数々の記録、もぎ取られた性器、または滴る血液、非道な殺され方をした遺体の写真などが並び、まさに目を覆うような作品の羅列に辟易したことと、そこに差し挟まれている有名な作家の作品に戸惑いを感じました。
その中で非常に印象深かった作品が1つだけありました。壁には小さなモニターがたくさん並んでおり、なぜか全員目を閉じた、おそらく光州事件で「市民軍」として命を落とした方々の顔写真(もしくはそのオマージュ)が何人も何人も映し出されています。部屋の真ん中には台が設置されており、そこに黒衣を纏った女性が数名立ち、歌を歌っていました。事件に関係していそうではありましたが、これはいったいなんだろう?という想像の世界に誘われ帰国後資料を読みあさり、メールのやり取りを繰り返していくと、それはまるでパズルのピースが合わさっていくようにクリアになっていき、まさしく美術作品の持つ想像を喚起する世界に浸れ、感慨深くなりました。
資料によると韓国には「『正しい』死者」という概念が存在するようで、それは「目を閉じて死ぬ」ことなのだそうです。光州事件にはいくつか歌い継がれた歌があり、その中の歌詞に「見開かれた目たち」というものがあることからこの世に未練を残したものはカッと目を見開いて亡くなるということとなるようです。これは映画「光州5・18」の中でも描かれています。さらに麻生水緒氏とのメールのやり取りにより、その女性たちの歌っていた歌は「ニムのための行進曲」という光州事件に非常に所縁の深い歌であることもわかりました。
モニターに映し出される数え切れないほどの人々の目が、なぜ閉じられているのかという作者の想いに想像を膨らませながら心の中に立つさざ波に心地よく身を委ねられる唯一の作品でした。
【ニムのための行進曲 歌詞】
愛も 名誉も 名前も 残さず
一生涯 がんばろうという 熱い 誓い
同志は (死んで)いなくなり 旗だけが 翻る
新しい日が 来る時まで 動揺するな
歳月は 流れても 山河は 知っている
目覚めて 叫ぶ 熱い 叫び
(私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい
(私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい
※この歌は光州民衆蜂起の犠牲者への弔いとしてひそかに作られ、歌い継がれてきたようです。
(報告;藤木雪絵)

メイン会場の周囲には高層マンションが建ち並んでいる

5・18自由公園で出会った日本語ガイドのハルモニ

zone1969jp2010-10-26

全南大学でコリアンレールにお勤めの親切な男性と別れた後、ちょっと良洞市場(ヤンドンシジャン)を見学、お腹を満たしてから5・18自由公園へと向かいました。ちなみに良洞市場はビエンナーレの市民作品が設置されている場所でもありました。
自由公園には資料展示室がいくつかあり、芳名帖に記帳していたら職員の方が日本語のできるガイドさんをお連れくださいました。彼女は光州事件のあった当時、50歳で女学校の先生をされていたそうです。ガイドさんから発せられる当時の様子はかなり生々しいものでした。例えば光州市民がどんな身分の人も一丸となって闘った、とか、「若者を殺さないで俺たちを殺せ!」と大人が盾になった、とか、女性はとにかく握り飯を作って全員に分け与え、バケツに水を汲んで男たちに飲ませた、など。光州事件の当時は光州から外部へ繋がる道がすべて封鎖され、完全に孤立した状態でしたので食料も水も何もかも全員で分け合っていたのだそうです。さらに事件から2日経った20日には彼女は職場に行き、電話で指令を伝える係りをしていた、とも言っていました。資料館には当時の新聞記事もたくさん展示されていましたが、それらはすべて外国人記者によるものだそうで、光州の記者が写真を撮ろうものなら戒厳軍に殺されていたそうです。なので、「号外」として配られ、光州で何が起きているかを知らしめたのはすべて外国人記者の手による記事でした。
「私たちは『暴徒』呼ばわりされていたが、決してそんなことはなかった。」彼女は続けます。その証拠として光州事件前日、道庁前のロータリーで行われた演説を市民は静かに聴いていたこと、戒厳軍との闘いで街が無秩序状態であったにもかかわらず、盗みを働くような不届き者は一人もいなかったことを挙げていました。
資料館の隣の敷地には、戒厳軍が尋問を行った施設や食堂、牢屋、風呂、裁判所等の建物が再現されていて、30年ということで今年から当時の様子を伝えようとそこには蝋人形が設置されていました。実は自由公園の横には不釣合いな高層マンションが建ち並んでおり、「歴史を忘れたい」人々によってそれらの施設が壊され、住居として土地の記憶を塗り替えられてしまったのだそうです。しかし、歴史的な建造物を保存すべき、という人々が今ある場所に当時の建物を移設、再現がなされたとのこと。その一つ一つを丁寧に見ながら解説する彼女は言います。「この事件で心に傷を負って精神を病んだものは市民軍だけではない。戒厳軍も同じように心に傷を負い、精神を病んだものがたくさんいた。」と。夕焼けの中で聴いたその言葉は、「人間」という存在そのものに対する慈愛が込められているようでひどく私の心に染み渡りました。
彼女は当時一市民であり、すべてを見渡せていたわけではないとは思います。しかしながら、彼女の口から出てきた言葉は彼女自身が見て、体験したことであり彼女にとっての紛れもない「真実」であることに違いはなく、「事実」であったかどうかということはそれほど重要ではないような気がしています。

「七烈士」のモニュメント

ロータリー前での演説の写真

「解決していない5つのこと」のモニュメントの前で熱く語るガイドさん
5.18 다섯 과재  5.18 5つの課題
1) 진성 규명  真相究明
2) 책임자 처벌 責任者処罰
3) 명에 회복  名誉回復 
4) 보상 문재 (연금 미지불) 補償問題(年金未払)
5) 기념 사업 記念行事
(麻生水緒氏より資料提供)

今日の一枚は集結の場である旧道庁。夜でしたのであまりよく撮れませんでした。

すべては全南大学から始まった

zone1969jp2010-10-24

全南大学の学生運動光州事件の発端だということは、非常に大雑把な理解の仕方ではあるけれども事実に違いがないので、私たちはその全南大学に足を運ぶことにしました。全南大学は光州のエリートが通う大学なんだそうで一見すると広い敷地内に様々な学部がひしめき合っている、現在は平和な大学です。しかし、よくよく目を凝らせば5・18の忘れ形見がそこここに見受けられます。敷地の一番広い場所には民主化運動のモニュメントが設置され、時折噴水がしぶきを上げます。また、平和な敷地内にそぐわない、校舎の壁に描かれた当時の様子を描いた壁画もありました。劇画調の壁画は激しい色彩で彩られ、そこだけ30年前の思いが漂っているようです。
その壁画に見入っているときに、水緒さんが先生らしき人物に声をかけてくださいました。その男性は実は先生ではなく、コリアンレールにお勤めの、全南大学大学院博士課程を修められた方で、当時は高校2年生であった、と話してくださいました。用事があったにもかかわらず、日本人がわざわざ全南大学まで光州の事件のことを調べに来たことが珍しかったのでしょうか、彼は熱っぽくインタビューに応じてくれました。
彼の話によると、光州事件の最中も授業があったらしく、授業をしている外では激しい銃撃戦が繰り広げられていて非常に怖かった、という思い出を語ってくれました。また、光州の歴史、韓国の歴史を大いに学んでほしいことと、金大中は最高の指導者であるということを何度も何度も繰り返していました。
ご存知の方には私がわざわざ説明するのも大変僭越なのですが、金大中という人は全羅道(光州地域)の木浦(モッポ)という土地の出身の政治家です。しかしながら、彼が大統領になるまでには長い長い道のりがあり、それ以前の権力者や政治家は全羅道出身者はいなかった、と資料に書かれています。(政治家として出馬するためにわざわざ他の地域から出馬した例も多々あったようです)それだけ全羅道が他地域から冷遇されていた、とも記されています。冷遇の要因は様々で、説明すると長くなりますので割愛させていただきますが、ご興味のある方は真鍋祐子先生の「光州事件で読む現代韓国」を是非ご一読ください。

全南大学正門。ここがすべての始まりだった。

5・18のモニュメント。右の人物が本を持っているのが印象的。

壁一面に描かれた激しい色彩の絵。下のほうには握り飯を配る女性が描かれている。

5・18民主化運動標石。全南大学にあるものは1番と番号が振られていて、集結の場の旧道庁まで全部で27個の標石がある。

増補 光州事件で読む現代韓国

増補 光州事件で読む現代韓国