光州ビエンナーレ’10レビュー

zone1969jp2010-11-01

光州の旅の一番最後に、光州ビエンナーレへ行きました。ご存知の方はもう説明は不要かと思いますが、この光州ビエンナーレ光州事件と深い関わりがあります。とあるブログに「光州事件の負のイメージをふっ飛ばすのはゲージュツの力なのだ!と始まったのがこのビエンナーレ」だと説明があったように(私の感想から言わせてもらえば、それほど単純ではありませんが)光州事件がなければ光州ビエンナーレそのものは存在しませんでした。
光州事件と光州ビエンナーレの関連性を最も端緒に説明しているサイトがありますので、詳しくはそちらをご参照ください。→「光州ビエンナーレ1995」
さて、今回は光州事件から30年ということで私も少々期待をしすぎていた感があります。結果から言うと2年前に何の知識もなく訪れたときよりも今年の展示のほうが心の琴線に触れるものが少なく、イメージの世界に浸り、うちふるえるような喜びを感じることもあまりなく、なにか自分の心が枯渇してしまったようで軽いショックを覚えました。
というのも、非常に戦略としては正しいのかもしれませんが、光州事件を「直接的に」喚起させるような作品、世界で起きている、もしくは起きていた虐殺の数々の記録、もぎ取られた性器、または滴る血液、非道な殺され方をした遺体の写真などが並び、まさに目を覆うような作品の羅列に辟易したことと、そこに差し挟まれている有名な作家の作品に戸惑いを感じました。
その中で非常に印象深かった作品が1つだけありました。壁には小さなモニターがたくさん並んでおり、なぜか全員目を閉じた、おそらく光州事件で「市民軍」として命を落とした方々の顔写真(もしくはそのオマージュ)が何人も何人も映し出されています。部屋の真ん中には台が設置されており、そこに黒衣を纏った女性が数名立ち、歌を歌っていました。事件に関係していそうではありましたが、これはいったいなんだろう?という想像の世界に誘われ帰国後資料を読みあさり、メールのやり取りを繰り返していくと、それはまるでパズルのピースが合わさっていくようにクリアになっていき、まさしく美術作品の持つ想像を喚起する世界に浸れ、感慨深くなりました。
資料によると韓国には「『正しい』死者」という概念が存在するようで、それは「目を閉じて死ぬ」ことなのだそうです。光州事件にはいくつか歌い継がれた歌があり、その中の歌詞に「見開かれた目たち」というものがあることからこの世に未練を残したものはカッと目を見開いて亡くなるということとなるようです。これは映画「光州5・18」の中でも描かれています。さらに麻生水緒氏とのメールのやり取りにより、その女性たちの歌っていた歌は「ニムのための行進曲」という光州事件に非常に所縁の深い歌であることもわかりました。
モニターに映し出される数え切れないほどの人々の目が、なぜ閉じられているのかという作者の想いに想像を膨らませながら心の中に立つさざ波に心地よく身を委ねられる唯一の作品でした。
【ニムのための行進曲 歌詞】
愛も 名誉も 名前も 残さず
一生涯 がんばろうという 熱い 誓い
同志は (死んで)いなくなり 旗だけが 翻る
新しい日が 来る時まで 動揺するな
歳月は 流れても 山河は 知っている
目覚めて 叫ぶ 熱い 叫び
(私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい
(私は)先に 行くから 生きている者は 後からついてこい
※この歌は光州民衆蜂起の犠牲者への弔いとしてひそかに作られ、歌い継がれてきたようです。
(報告;藤木雪絵)

メイン会場の周囲には高層マンションが建ち並んでいる