映画「光州5・18」から


この映画を見たのはだいぶ前なので、記憶は定かではないけれど、軍隊の後ろに道庁とロータリー、YMCAが見えるところを見るとかなり終盤に近いと考えてよいと思います。映画の一番のクライマックス、主人公のタクシー運転手ミヌの弟ジヌ(おそらく正しくは「チヌ」と呼ぶべきでしょう※註)が銃弾に倒れるシーンです。資料によれば、韓国国内では「殺戮シーンの表現が手ぬるい」等の批判もあったようで、実際正視に耐えない遺体が山のようにあったと記されています。が、監督の意図は残虐なシーンを撮ることではなく、「(決して英霊ではない:記事筆者が補足)声なき市民たちの無念の死」を伝えることにあったとされています。実際、ヒッピー風の格好をした「チンピラ」やお調子者がクローズアップされていることを考えると「名もなき市民」「声なき無数の人々」にスポットを当てようとしたことは明確です。
この2時間ちょっとの映画では、日本人である私たちは韓国の考え方すべてを知ることは不可能です。DVDだけ見た私の感想もなにか不完全燃焼のようなものが胸に残りました。しかしながら韓国が南北朝鮮戦争休戦中の最中であること、どんな成人男性も徴兵されること、また銃の扱いについては年に何週間かの訓練があることを知れば、「市民軍」を形成することは容易であることは想像にたやすいことです。
この映画は「光州事件」の入り口としてはかなりよくできた映画ですのでご興味のある方は是非ご覧いただければと思います。
長引きそうなので、続きは後日アップします。
(今日の1枚はすべての始まりである全南大学《チョンナム・テハッキョ》の5・18資料館です。訪問日が土曜日ということもあり、エントランスの展示物しか見ることができませんでした。)
※註 韓国では言葉の頭が濁音で濁ることはありません。例えば少し前にNHKで放送されていた「ファン・ジニ」というドラマがありましたがフルネームで呼ぶときは、ファーストネームは「ジニ」ですが、名前だけを呼ぶときには「チニ」に変化します。ですので、ここでも単に弟の名前だけを呼ぶときには「ジヌ」ではなく「チヌ」と呼ぶのが自然です。実際叫んでいる台詞を聞くと「チヌ」と呼んでいます。この字幕をつけた人は、日本人向けに統一して「ジヌ」と字幕をつけたのだと思います。

私たちの体感した光州事件

zone1969jp2010-10-23

一昨日の記事には通信の記事にするからと、この場で光州での出来事を書くことは控える旨を書いたのですが、誌面は小さく、伝えられることがほんのわずかであることを鑑みるとここに私の感じたすべてを書いておいたほうがよい気がしたので記事にすることにしました。
まず、謝辞から。現地での韓国語をすべて同時通訳してくださった麻生水緒氏。彼女がいなければ私たちの旅はもっと浅いものとなっていたことでしょう。そして光州事件関連の貴重な資料をご送付くださった、真鍋祐子先生、ならびに旦那様の金子毅先生。金子先生とは今年の3月のシンポジウム以来のお付き合いですが、その奥様である方がまさか真鍋祐子先生であるとはなんとも不思議なご縁に導かれ、無理を承知で光州関連の資料をお見せ願えないかとお願いしたところ、快諾してくださいました。真鍋先生から送られてきた資料は帰国後に手にすることができ、非常に貴重な資料の数々にただただ感謝するばかりです。出国前に資料を見ることができなかったことを真鍋先生は非常に気にされていましたが、私はかえって帰国後に手にして読みえたことをよかったと思っています。旅の最中、最低限の知識しか持ちえませんでしたが、そのおかげでかえって、物事を非常にニュートラルに捉えられたのではと感じております。さらに、中国からわざわざ光州に駆けつけてくださった麻生晴一郎氏。彼の存在は旅を大変楽しいものとしてくださいました。心より感謝申し上げます。

釜山ビエンナーレレビュー

今回は日本人が総合キュレーターを務めるということで、韓国のインディペンデント・キュレーターの方にお話を伺ったところあまりよい反応がなかったのが私たちのいわゆる「前評価」としての一種刷り込みにもなったかもしれませんが、正直な感想として日本でもいくらでも見られる作品群が羅列されていた印象は否めません。しかしそれは私が日本人であるからそう感じるのであり、韓国の人たちにとって目新しく斬新であることも予想できるのは事実です。
ただ、このところの流行なのか、生殖器や人体の一部等の作品が非常に多く感じられ、「またか」という印象でした。これは個人的な作品の好みであり、生殖器を交換した男女の映像や子宮、しゃれこうべ、髪の毛を使用した作品に私自身があまりなじめないこともあり、光州ビエンナーレでのなんともいえない展示にうんざりしたあとだったことも手伝っての感想です。
中には美しい、イメージの世界に浸れそうな作品もありました。作品数的には十分に見ごたえがあり、700ウォンでは安いなと感じました。
これはあくまで個人的な感想であり、今現在私の中でなにかの変化があり、いわゆる「アート」というものに心が揺れず、そういう自分になかなかにショックを覚えています。
この展示の感想は個々人で全く正反対のものとなるでしょうし、アートが大好きな人にとっては楽しい展示なのではないかと思います。11月20日まで開催しておりますのでアートがお好きな方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
釜山ビエンナーレ関連情報はこちら
釜山ビエンナーレ芸術監督;東谷隆司氏によるカタログ序文
釜山ビエンナーレ2010Part1
Part2
Part3
Part4
(報告;藤木雪絵)

光州事件関連の資料本

増補 光州事件で読む現代韓国

増補 光州事件で読む現代韓国

光州 五月の記憶―尹祥源・評伝

光州 五月の記憶―尹祥源・評伝

韓国旅行の目的

zone1969jp2010-10-21

今回は一昨年に行った光州ビエンナーレと一昨年行きそびれた釜山ビエンナーレを見学に行きました。光州ビエンナーレとあわせて、光州事件のこともちょっと勉強していろいろな場所を周ってきました。そのことはtobo通信02号に載せる予定ですので、ここでは内容は控えさせていただきます。ただ、釜山ビエンナーレに関しては掲載の予定がないのでレビューを書きたいと思います。

tobo通信01号が紹介されました

プロフィールを拝見してもお名前が出ていないので、この場でお名前を出してよいものか非常に迷うところなのですが、北九州にゆかりの深い方のブログでわたしたちの作った「tobo通信」をご紹介いただきました。ブログ名だけ記しておきます。「吹ク風ト、流ルル水ト。」というブログの2010年10月10日の記事です。
とても素敵な表現でご紹介くださり、自分たちの作ったものが「人の心に少なからずも届く」「人の心のどこかになにかが響く」という嬉しさを改めて実感しています。
02号の準備にも自然と力が入ります。もっともっと自分の感性を磨かねばならないと思う今日この頃です。

街にとけこむということ

わたしには「ジモト」という感覚がない。いつもどこか「ヨソモノ」であることを意識して生活している。それはわたしにとって「実家」という考え方がないからだ。この「実家」というやつはすでに崩壊していて、寄る辺なさを感じて切なくなることもしばしばある。そんなヨソモノがジモトの人々と触れ合うということとはどういうことだろう。
昨日わたしは演劇のワークショップを通じて「ジモト」の人々と触れ合っている活動をしている人たちの存在を知った。そのワークショップを引率している人も「ヨソモノ」だ。彼らの活動はどんなものだろう。これは体験してみる価値がある。
また、カルチュラル・タイフーンで見つけ岡山に出向き、そこで出会った「朝鮮学校ダイアローグ」を開催していた人々たちは「ジモト」という感覚に非常に閉塞感を感じていると言う。そのようなお話をされた岡山の方は「ジモト」という感覚をどう捉えているのだろう。
人々の記憶をとても大切に考えている、toboでも取り上げたremoの方は8mmというホームビデオを介して「記憶のアーカイヴ」をしている。recipは変幻自在にその土地にするりと滑り込み、様々な人々を繫いでいる。ココルームは釜ヶ崎という土地にしっかりと溶け込み、日々人々の話に耳を傾けている。
どこの団体も「アート」なんていうまやかしの言葉は使わないし、その言葉自体に対して懐疑的なようだ。わたしはそういう感覚はものすごく大切だとひどく共感している。
世の中にあふれかえっている「町興しアート」。これは本当にその街の人々のことを考えているのだろうか。もっともっと地に足をつけて考えることがたくさんありそうだ。はじまったばかりのtoboでやるべきことはまだまだたくさんある。もっとわかりやすく、もっと伝わりやすく、このことを誌面に刻み込みたい。
tobo通信のお問い合わせ→m-gavro540☆iwa.bbiq.jp(☆を@に変換してください)