art talk session vol.3  森山安英 −日常への抵抗 −

zone1969jp2008-03-23

thinking on the borderland
art talk session vol.3  森山安英 −日常への抵抗 −

◆ 日 時 : 2008年3月23日(Sun) PM 3:00〜5:30
◆ 会 場 : GALLERY SOAP 北九州市小倉北区鍛冶町1-8-23 http://g-soap.jp/
トークゲスト : 麻生晴一郎(フリーライター
     毛利 嘉孝(文化研究/東京芸術大学
【レポート】
 この前の週に「おかえり集団蜘蛛」という展覧会のオープニングにあわせてトークが行なわれたのと、thinking onのtalk sessionも3回目だということ、年度末でいろいろな美術館のイベントと重なってしまったこと、天候が悪かったことなどで、思ったよりは美術の関係者が少なかった。
 森山安英氏については「美術」という側面からはもう語りつくされているということで、もう少し違う側面からのアプローチを試みたわけだが、麻生晴一郎氏の森山氏に対する「何者でもない存在としての営為」という言葉が非常に心に響いた。麻生氏は中国の芸術村へ滞在したことがあるそうだ。(著書「北京芸術村−抵抗と自由の日々」参照)中国というのは絵描きはいわゆる「絵描き協会」に所属しなければ絵描きだとは認められないらしい。何事においても「何かに属する」ということが大前提にあるわけで、それをしない人民は「何者でもない」人民ということになる。しかしながら芸術村の絵描きたちはそのような協会には属しておらず、まさに「何者でもない」状態でひたすらに制作活動を続けている。このことと、森山氏の日常への抵抗という行為が彼の中で重なったらしい。麻生氏からの提供資料はめったにお目にかかれないもので、見逃したら絶対損だ、と感じた。
 毛利嘉孝氏のトークでは、アントニオ・ネグリ氏来日の突然の中止というアクシデントになぞらえ「日本はいかに情報が遮断されているのか」ということが報告されていた。この「横暴」とも言える日本政府のやり方に、私も開いた口がふさがらなかった。毛利氏は、諸外国では当たり前のように国民に知らされていることを、我々は故意に知らされていない、その情報操作がいかに作為的に行なわれているか、ということを述べており、それが非常に印象的だった。
 とにかくこのtalk sessionは、普段とは違う「森山安英」の解体であり、この場に居合わすことができたことは非常に有意義であったと思う。(雪)

北京芸術村―抵抗と自由の日々

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こころ熱く武骨でうざったい中国

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文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱

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ポピュラー音楽と資本主義

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