art talk session vol.2 白川昌生−グローバルとローカルの狭間から

thinking on the borderland
art talk session vol.2 白川昌生−グローバルとローカルの狭間から

【レポート】 
 この濃厚なtalk sessionをなんと表現してよいのやら、正直皆目見当もつかないが私が一番心に響いたことは「アーティストは何でも学べる存在である、もしくは学ばなければならない存在である」と言った福住廉氏と白川昌生氏の言葉である。白川氏は、いわば東京からは「締め出された」ローカルの場で、そこにいる人たちと、そこで作られたもの、あるもので一体何ができるのかを常に問い続け、結局はそれが町全体の「記憶」と同化しその場所を意図的に(と言っては言いすぎか)捏造してゆく。それと似たような活動を長田謙一氏も行なっていて彼らの活動というのはまさに「誰のためのアートなのか」「何のためのアートなのか」「誰をアーティストと呼ぶのか」という問いを我々に投げかけている。一方、また違った視点で福住氏が現在拠点に活動している東京の状況はどうかというと、いわゆる既存の銀座の画廊の全くマスターベーションのような自己満足極まりない退屈でどこにでもある「展覧会」に疑問を持ち、プロフェッショナルとアマチュアの境界線はどこにあるのかと問い続けている。
 そこに行けば何でもある「東京」という場所は、もしかしたらすでにその役目を終えてしまっているのかもしれない、そんな期待と希望を抱かせてくれるような、非常に有意義ななんとも気持ちのいいtalk sessionであった、というのが素直な感想だ。(雪)