テレジンの小さな画家たち詩人たち

・・・と谷本仰さんによるヴァイオリンその他による絵や詩とのダイアローグ演奏を聴いてきました。
夏休みということも手伝って会場にはちびっ子がいっぱい。
絵を見ながら考えていたことはフランクルの「夜と霧」のことや先日判決が出たテュールスレン収容所元館長の人のこと。
前者は、それでも希望を失わなかった収容者、後者は、冷酷極まりない支配者。
絵は本物が来るわけもなく、パネル展示で印刷状態が悪かったけどそれでも明るさを失わない色調が印象的でした。それは希望を与え続けた絵の先生がいたからで、彼女の功績というのは計り知れなかったと思うのです。たとえ子どもたちがアウシュヴィッツに行ってもう二度と帰ってこられなかったとしても。
それは演奏にも表れていて、やはり希望に満ちた現代音楽が奏でられたのでした。
現実は悲劇だったかもしれないけれど、それでも一瞬でも希望を見出せたことに私はなんとなくそこを感じ入るわけで、以前だったら胸が締め付けられるとかそんなありきたりの感想しか持ち合わせていなかったと思います。
テュールスレンの子どもたちはどうだったのでしょうか?こんなに希望に満ちた瞬間があったのでしょうか。願わくば、そんな時間が一瞬でもあったと思いたい。首サッカーをしている状況下では無理かもしれないけれど。
なんか感覚がおかしくなっているのかな、と思うけど悲劇を悲劇として捉えるだけではなんか浅い気がしてしまいます。満足な食事がなくとも、どんな過酷な運命があろうともそこに光を見出したいのが今の心境です。