アートトーク イン ヤーマンズ 「10年代のアートと社会」

zone1969jp2010-04-10

アートトーク イン ヤーマンズ 「10年代のアートと社会」
【概要】
2000年代に入ってアートと社会の関係が大きく変化している。これまで美術の中心にあった「美術館」や「ギャラリー」、「美術ジャーナリズム」などが変化し、それにともなって、アーティストやアートの社会における役割も変貌しつつある。北九州のアートNPO、アートインスチチュート北九州(AIK)の経験を元に、2010年代のアートと社会の役割を考えたい。
会 場 : Ya-man's Cafe & Gallery
前橋市千代田町3-9-2弁天通アーケード内)
■日 時 :4月10日(土) 16:00〜18:00 (終了後、交流会もございます。是非ご参加下さい。)
■ゲストトーカー 毛利嘉孝
■会 費 : ¥500 (交流会は別途 ¥1000頂きます。)
【レポート】
かねてから予定していて楽しみにしていた(ちょっと不安でどきどきもしていた)前橋の毛利嘉孝さんのトークを聞きにヤーマンズに行ってきました。
実際、行ってみて、トークを聞いているうちにアートイベントってどうなのよから、美術ってどうなのよ、と日ごろうだうだ考えていることになにかこう、ピーンと感覚が合って、聞いてない人には何のことだかわからないでしょうがわたしにとってはひざを叩くような、そんな感覚をもらえたことが非常に大きな収穫でした。
さっき、はてなの日記に確か似たようなことを書いていたなあと思い探したのですが、意外と長い文章でしたのでリンクを張ることにします。
http://d.hatena.ne.jp/zone1969jp/20070330
お暇なら読んでください、という感じですが2007年からこんなことをうだうだ、うだうだ考えていたのでした。
※ 質問タイムのときに「自分は作家とはモノを作ってナンボだと思っている」と言っていた人がいましたが、そういう人がいてもいいのですがモノを作らなくても作家である、ありうるかもしれない、という心の余地みたいなものが、わたしはちょっとあってもいいのかな、と思っているクチで、まあ、いろんな考え方の人がいるわよねーとか思ってしまいました。

※【追記】ここで書いているのは体で感じる感覚を疑ってみる必要があるのではということでしたが、わたしが会場で発言させていただいたのは自分の感覚も含め、今やっていること、やりかけたことを一度疑ってみる必要があるのでは、ということでした。その中で試行錯誤を繰り返せたら、もっと洗練されていくのかな、と漠然と思ったのです。

なんかトークの内容にはあまり触れていませんが、これからは「アーティスト」という単純にモノを作ってればいいというくくりから外れた作家も出てくるぞ、というお話でそれは私が13年来ずーーーーっと考えていたことなのでした。交通費をかけて行ってみてよかったと思いました。これからはいろいろなことに関われることがアートの役割だと感じた、ということも付け足しておきます。
(報告;藤木雪絵)