ケルト音楽を聴きに

zone1969jp2007-10-13

 チケットプレゼントに当選したので、珍しく音楽を聴きに行ってきました。

ケルト音楽の世界 カルロス・ヌニェス
2007年19月13日(土) 15:00〜
北九州市立響ホール

【レポート】
 ケルト音楽を聴きに行ったため、よりそう思ったのかもしれないが、音楽は座って聴くより立って聴いたほうが楽しい。耳だけで聴くよりも全身で聴くほうが好きである。今回、二幕目の中盤から「立って、手をつないで、踊って」というしぐさを演奏者がし、スタッフが座席の列ごとに席を離れて踊りの輪を作るよう誘導したのでもじもじと立ってみたが、実は心の中ではしきりに「スタッフよ、どうか来ないでくれ」と思っていた。実際にはちょっと後ろの座席だったために踊りの列に選ばれずホッとしたのだが、私はそのくらい「音楽を聴いて体を動かす」ということに慣れていなかった。(響ホールはクラシック専門の音楽ホールのため会場にいた常連と思しき年配の方のほとんどがそうだろう。) 
 さて、音楽と体を動かすことを美術と絵を見ること、または描くことに置き換えてみると、いろいろな共通点が見つかる。まず第一は「音楽を聴きに行く」ことがごく一部の人たちしか楽しまないように、「絵を見に行く(描く)こと」もまた、常連で同じ人が繰り返し楽しみがちである、ということ。そして「音楽を聴きながら体を動かす、リズムに乗ることを自然にする」「絵画や美術を楽しむ」ことに慣れていることも、また同じような常連だけがしていることである。演劇もそうかもしれない。とにかく、その場に慣れていないと、究極のアウェイ感に襲われ、相当に萎縮してしまう。しかし楽しいときはいずれの場合も「とにかく全身で」それを受け止めている。
 実際、立って聴いているときは自然と体がリズムに乗り(相当傍目には不器用に映ったろうなあ)全身で音を聴いて楽しんでいた。美術作品を楽しんでいるときは五感で見ているという感じがぴたりとくる。また、滅多にないが描ききった、というときはトランス状態に入っていることが多い。
 前々回に音楽には垣根は軽く越えられて、などと気軽に書いてしまったが、自分が一番他のものに対して垣根を作って飛び越えずに過ごしていたことに気づかされる。やはりそれぞれに課題があって、それを克服すべく努力した結果の飯塚市だったのだと感じた一日であった。(雪)

※画像;葉脈シリーズのデッサン 
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