アート徒然考4 対話型鑑賞の可能性

zone1969jp2006-12-11

 今、学校の美術や図画工作では「鑑賞」という、非常にあいまいかつ重要な項目が大きな課題となっています。この「鑑賞」という項目は、その教員の資質が大きく左右するだけに今まで作品を児童生徒に作らせていただけの教員には相当厄介な項目なのではないかということは素人の私にも想像に難くないところです。
 先日、ある中学校の美術館を活用した対話型鑑賞教育のDVDを見ていました。ビデオカメラは生徒を追っているのではなく、ガイドを務めるボランティアの方を中心に回っていましたので、中学生は常に入れ替わり、ガイドさんが次々にやってくる生徒に加山又造の「春秋波濤」を通じてコミュニケーションを繰り広げていく様を約1時間ずっと見ることとなりました。
 私が見たそのガイドさんは少し年配の女性で、生徒に質問を投げかけながら言葉を促していきます。おそらくいろいろと事前に資料を用意していたのでしょう。手には「春秋波濤」のヒントになった京都の金剛寺の「日月山水図屏風」のコピー、棒膠、金箔、銀箔などなど様々なものを持っています。そしてこの絵の見どころを丁寧に生徒達と一緒に追っていて誠実に仕事をなさっていました。
 そのDVDを見始めて30分ほど経過した頃でしょうか。今までずっと同じような投げかけで生徒たちと鑑賞していたそのガイドさんが、ある生徒の質問をきっかけに微妙に変化をし始めました。その生徒の質問は確か「この背景にある四角いブロックみたいな黒いものはなんですか?」でした。この質問はガイドさんも予想していなかったようで、生徒と一緒に「何かしら?これはきっと銀箔かなにかかもしれないわ」と考え始め、その答えに更に生徒が「じゃあこれが描かれたばっかりのときは銀箔も酸化して黒い今の状態じゃなくて、銀色だったってこと?」と問いかけます。その質問に触発されるかのようにガイドをされている女性は想像を膨らませ、「きっとそうね、そうだとしたら背景が銀色で、そこに描かれている金色のお月様がとってもきれいだったかもしれないわね」と答えました。その次にやってきた生徒には、ガイドさんは今までの質問項目に、背景の黒いブロックのことも加え始めます。そしてしきりに「想像してみて」と話しかけていました。
 これはなかなか面白い現象でした。普通、私たち大人は子どもをどのようにいざなって美術はこんなに楽しいんだよ、ということを伝えようかと頭をひねります。例えば相手が小学生だったとき、私たち大人はこんなに事前準備に頭を悩ますこともなかったでしょう。なぜなら小学生の場合、大抵大人の気づかないところを子どもたちが教えてくれる、という経験と期待感があるからです。これが思春期を迎え、大人と子どもの中間の年齢の中学生だと急に予測が難しくなります。こちらの問いかけにどのくらい答えてくれるか、もしかしたらまったく会話が成り立たないかもしれない、という不安さえあったかもしれません。しかしながらこのDVDが私に示した現象は、中学生なりの問いや気づきによって大人が変化をする、というものでした。
 「これはこういうものです」と一方的に教えるのは簡単かもしれません。大人が自分の持っている知識を子どもたちに教えていく、ということもまた重要なことではあります。しかし、この「対話型」の鑑賞方法は、子どもと一緒に大人も学んでいける、非常に面白い方法なのだと感じました。このことは対話型鑑賞教育の実践授業に関わったガイドさんにも知っていただきたいし、そのための振り返りをきちんとすべきだと思います。対話型鑑賞教育によって子どもだけでなく、大人も変容するということをしっかり受け止めたとき、また一歩私たちは前に進めるのではないでしょうか。(雪)