「否定×否定」から導き出されるものは

zone1969jp2006-11-28

 「ピカソモディリアーニの時代」展を見終わったあと、学芸員の花田伸一氏にお引き合わせいただいたただならぬ空気を身にまとった方とお引き合わせいただきました。この方の名前は森山安英氏。ゆったりとした雰囲気にそぐわぬ鋭い眼光の持ち主で、彼の行ってきた60年代の活動をどのように説明したらよいのか、正直的確な言葉が見つかりません。
 ご存知のように60年代のアートシーンというのは前衛芸術運動の真っ只中で、ちょっと名前を挙げただけでも例えば「ネオ・ダダ」「ハイレッドセンター」「具体」「ゼロ次元」と、要するに今までの価値観をぶっ壊す形でかなりカゲキな活動をしてきた人たちが名を連ねています。
 その運動は九州にも当然あったようで、不勉強な私は知りませんでしたが「九州派」という集団がいたそうです。いろいろと調べていくと九州派は反東京を謳いながら、結局はその活動や展覧会の多くを東京でやっていたということらしいのですが、これはまた慎重に調べていく必要がありそうでまだまだわからないことだらけです。森山さんは実は今名前を挙げたどの前衛運動にも加わってはおらず、「集団蜘蛛」という完全に匿名の集団で先に挙げた前衛集団を「否定する」あるいは「認めない」というところから出発していたそうです。
 もともと「否定」から始まった前衛の集団をえぐるように批判する「集団蜘蛛」の活動の全容は、30分程度の会話から漏れ聞く限りのものでは語りつくせませんし、なにより私の稚拙な文章力では説明するのもおこがましい、といった感じです。ただ、この熱き60年代という時代を、もっとも大きな熱量で駆け抜けてきた人物であるということだけは感じ取ることができ…この表現でさえも本当に的確なのかという自分自身に対するもどかしさばかりが募ります。彼の前ではどんな言葉ももはや力を持たない、なにかでくくれる類の活動ではない、それだけは確かです。
 福岡県立美術館の川浪千鶴さんが森山さんの講演のレポートをしていて、その中で「集団蜘蛛」について触れていますので詳しくはこちらを参照のこと。(雪)
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/curator/kw_0406.html