この国から出発するということ

南寺/直島

まず告知を。
若冲と江戸絵画 九州国立博物館(福岡県太宰府市
2007年1月1日‐3月11日

 新春最初の展覧会で伊藤若冲にまた会えるというのはこの上ない喜びです。今回は2000年に京都国立博物館で開催された大規模な若冲の回顧展とはまたちょっと異なり、そのほかにも様々な江戸時代の絵師達の絵画が集うようですが、それでも私がまたこの「美術」という場所に戻ってくるきっかけのひとつになった若冲と再会できるのは感慨深いものがあります。
 ほとんど海外に流出してしまってそんなに見る機会もあまりありませんが、若冲の絵画を見るたびに思うのは「新しさ」です。東西の美術史を紐解いてみると、発表された当時はきっと新鮮で斬新だったであろう絵画の多くは「何々派」という区分けをされ、どんどんと箱に収まってその当時放っていた輝きを失ってしまう。それはある種新鮮だったものが負う宿命なのかもしれません。しかし、一方で深い普遍性を求めることも、アートの負う宿命なのです。
 アートに限らず、いろいろな分野で日本人は「自分の考えを言葉にできにくい民族」として自覚、あるいは認識され、自分の考えが白か黒か、はっきりと言えることがよしとされているきらいがあります。しかし「世界と肩を並べる」ということを考えたとき、果たして本当にそれだけが正しいことなのでしょうか。確かに海外に出たときに自分の主張をはっきりしないと、とんでもなく悪い待遇を受けてしまうことは事実です。また、国内においてもいろいろな場面で、内容の良し悪しよりも声が大きく、意見をはっきり言う人が多くの信頼を集め、支持を獲得するでしょう。
 日本国内にいても、いやがおうにも海外の情報というのは常に目や耳に飛び込んできて、自分と違うものへの畏敬の念から「こんな教育を受けている国とまともに戦っても負けてしまう」と思うのも、またよくわかるところです。しかし、文化レベルだけに絞って考えたとき、果たして「はっきりと白黒自分の意見を言える」ということだけがいいことなのでしょうか。
 「若冲」という、私の中ではどの箱にも収まりきらない絵師の絵画を前にするとき、私はいつもそんなことを考えてしまいます。このれっきとした「日本文化」のほとんどは、肩を並べようとがんばっている相手である欧米に流出してしまいました。このことは一体私たちにとってどんな意味を持つのでしょうか。今回はちょっとあいまいなまま、終わりにします。(雪)
《写真は香川県直島の南寺/ジェームズ・タレル安藤忠雄