ミーティングテーブル レポート

「toboミーティングテーブルきっかけ作戦会議 ジモトってピンとくる?」が開催されてからいろいろとあり、レポが遅れてしまいました。まず基本情報です。
■toboミーティングテーブル
きっかけ作戦会議 ジモトってピンとくる?
と き  2011 年 2 月 18 日(金)
午後7時 00 分〜9時 00 分(受付開始・午後6時30分)
場 所  cafe causa (カフェ カウサ) 2F 北九州市小倉北区浅野2-12-14
トークゲスト
・多田淳之介さん(演出家/東京デスロック主宰・埼玉県富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ芸術監督)2009年より北九州芸術劇場主催『エンゲキで私イキイキ、地域イキイキ』の講師として、枝光北市民センターでワークショップを行う。モットーは「演劇LOVE」。
・川端 浩平さん(関西学院大学大学院社会学研究科特任助教)“ジモト”をテーマに各種調査研究、アクションを展開する。2010年、ダイアローグ岡山のメンバーとして岡山市南区藤田にて『朝鮮学校ダイアローグ』をというプロジェクトを展開。
・井口  洋さん(クロサキカンパニー/黒崎シネマチャレンジ・企画構成)北九州・黒崎を拠点に若い仲間達と「ワクワク・ドキドキ」づくりを企画・画策している。現在、大注目の活動を展開中。
企画:tobo  
主催:八幡“みる・しる・あそぶ”地域活性化プロジェクト
【レポート】
私はいつものポジションではなく司会をさせていただけたので、締めの言葉を考えるために必死でメモを取りつつの参加となりました。オープニングの司会のときにわざと「3名のトークゲストには一見共通性がないように見えますが」と強調する表現を使い、とにかく私も来て頂いたお客様と一緒に考えていきますよ、とさりげなく会の趣旨をお伝えしたつもりでしたがうまくいったかどうかは、なかなか難しいところです。今回の問題提起は川端浩平さんにして頂きました。私たちtoboの発行する「tobo通信」の裏面に、集まりの主旨として「ジモト・デモドリ・ヨソモノ」という片仮名表記をわざとしています。それは実は川端さんたち「ダイアローグ岡山」が主催する、去年の夏の「朝鮮学校ダイアローグ」という催しで「ジモト」という表現が使われていて、なぜかそれにひどくシンパシーを感じたからです。なぜ片仮名で「ジモト」と表現するのが自分たちの感覚にフィットするのか、私なりの考えですがそれは一回漂白剤のようなもので漂白された無機質な感じに捉えられるからなのだと思います。岡山駅の有名なシンボルは「桃太郎」でしたが、多田さんのご出身の千葉県柏市の駅前シンボルはなぜか「ジャックと豆の木」で、川端さんが提示された「シンボルが余計にジモトを見えにくいものにしている」という部分には少なからずともシンパシーを覚えてくださったのでは、というささやかな期待も持ちつつ拝聴しておりました。多田さんのパートでは事前に“縁”劇ワークショップの発表会を幸運にもリハからスルーで見学させて頂けたこととtoboメンバーの秦さん、谷口が1週間を通して参加していたため私にとってはWSの主旨である「非言語によるコミュニケーション」を「自分で獲得してゆく」というのは大変納得できたのですが、WSの映像を流して説明を交えながら主旨を理解していただくには少々時間が足りなかったように思います。2時間ではやはり押せ押せで、それだけ「ジモト」や今回「ジモト」を通じて考えてゆきたいテーマは我々にとって身近であり、だからこそより大きく深く興味の対象となるテーマなのでしょう。井口さんの言葉はとてもストレートで印象的でした。やはりプレゼンのプロなんだなあと。井口さんの発表の中で印象的だったのは幾つかあるのですが、これは肝に銘じなければいけないとペンを走らせたものがあります。
「顔を隠した正論は心を動かさない。非常識が常識を生む。野に生きることが中央を動かす」
この言葉がスクリーンに出たとき、ドキリとしました。我々はただ何も動きもしないで大樹の陰に隠れて野次を飛ばすだけの人間になってはいまいか。周囲の評判ばかり気にしすぎて羽根を大きく広げることをためらってはいまいか。上から目線で人をまるで自分の持ち駒のように扱い、同じ目線で考えることを怠り卑怯な言い訳ばかりを繰り返してはいまいか。この言葉に私は非常に深く感銘を受けました。
この「きっかけ作戦会議」では私はわざと感じたことを素直に皆さんにお伝えしませんでした。それはなぜかというと、そうすることによって「私」という一個人のフィルターを通した考え方をみなさんに押し付けてしまうことに繋がるからです。ですので、ここにも私の感じた最終的な考えはあえて書かないことにいたします。ただひとつ、確信を持って言えるのは、川端浩平さんも、多田淳之介さんも井口洋さんもアプローチは違えど、共通する事柄に心を砕いていらっしゃるということです。この問題は一言で片付くことではありません。ずっとそれぞれが考えてゆくべき問題なのだ、と強く感じました。レポートにはあまりなってないようにも感じますが今後ドキュメントとして紙媒体に残してゆきます。
【報告;藤木雪絵】