見田宗介講演会【報告】

8月28日 見田宗介講演会 「現代社会はどこに向かうか−生きるリアリティーの崩壊と再生−」に行ってきました。
現代のリアリティーの希薄さについての糸口として
永山則夫連続銃撃事件
秋葉原連続殺傷事件
の2つの事件の共通点と違いを比較することにより探ってゆこうとしたのが第一段階。
共通点
・青森出身である(永山は正確には網走出身)
・永山→集団就職で上京 加藤→派遣社員として上京
・どちらも実存的な事件である

違い
・永山には未来の喪失感があった。
 憧れの東京での耐え難い「まなざしの地獄」を経験。
 (顔の傷、なまり、学歴等)
 アメリカに夢を託すも失敗に終わる。
・加藤は東京への憧れはなく、流れ流れて上京した派遣社員であった。
 派遣先での作業用つなぎ紛失により暴れまわるが
 同僚から相手にされない。
 ネットに殺人予告を書き込むが無反応。
 自分はいらない存在なのだという実感。

秋葉原事件の加藤被告はトラックで歩行者天国に乗り入れ、ひき殺すも
その後トラックを降り、タガーナイフで逃げ惑う人々を次々と刺していった。
      ↓
刺した感触や吹き出る血によってリアリティを得ようとしていたのではないか。
加藤被告の場合は「まなざし不在の地獄」であった。

という流れで話は進んで行き、その後眠たくなるような話に突入。
その後やや脱線気味の話からまたリアリティの話へと戻っていきます。それはリストカッターの話です。
見田宗介氏によれば、加藤智大被告とリストカッターはたいした違いはない
と言い切ります。それはちょっと前に話題になった南条あやに代表されるようにリストカッターも血を流すことで希薄なリアリティを何とか埋め合わせようと、そして現実感を得ようとしている、という見解です。
さらに加藤智大被告は外向きの無差別殺人者でリストカッターは内向きの無差別殺人者だ、とまで言い切ります。
私はこの半ば暴力的な見解には素直にうなずくことはできませんでした。
彼は社会学者であり、精神科医臨床心理士ではありません。リストカットにはそれだけではない、もっと様々な要因が含まれていると常々思っています。もちろん私も臨床心理士でも何でもありませんが。
ただ、加藤被告にも、リストカッターにも強烈な他者の存在が必要、という見解にはなんとなくうなずけるものがあるように思います。
結局のところ、リアリティをどう再生してゆくかはぼんやりとしたまま終わってしまいました。これは個人レベルの問題として扱わなければいけない問題なのかそれとも、北九州ホームレス支援機構のうるさ方おじさん代表奥田知志さんのような「自己責任と社会的責任の両輪」が必要だといって、うざいくらい構ってくる人との繋がりのようなものが必要なのかその辺は何の結論も出ないままで、物足りない感じのする講演会でした。
(報告;藤木雪絵)